とっく~ブログ 

読んだ本の紹介をメインに、小説に出てきた聖地巡礼や、写真など

武田信玄公生誕500年記念映画「信虎」を鑑賞

全国東宝系シネマで武田信玄の父である武田信虎を主人公にした映画を上映すると聞き観に行ってきました。

 

武田信玄を主人公にした映画や小説などはたくさんあるし、僕も色々見た記憶はあるのですがその父の信虎を主人公にした作品は新鮮だなと思いぜひ、観てみたいと思いました。

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あらすじ

元禄14年(1701)、5代将軍徳川綱吉側用人の柳澤吉保は百数十年前に織田信長によって滅ぼされた甲斐武田家を復活させた。

 

柳澤吉保はまだ幼い四男の横手伊織にせがまれて祖父の横手信俊と交流のあった武田信虎の晩年の活躍について語り始める。

 

強大な織田信長の軍勢に圧迫されつつある信玄亡き後の甲斐武田家をどうやったら存続させることができるのか、そのために信虎が何をしたか。

 

そして、柳澤吉保が武田家を復活させた衝撃の理由とは?

 

感想

武田信虎のイメージは、1988年に放送された大河ドラマ武田信玄」で平幹次郎が演じた粗暴で傍若無人な君主であり、父親というものでしたが、この映画ではもう晩年なので、息子信玄への恨みも消え、家臣思いの穏やかなご隠居という感じでした。

 

もちろん、自分が再び躑躅ヶ﨑館に入り、武田家の当主に返り咲くという野心も初めは秘めていて、武田勝頼重臣たちとの駆け引きといったしびれるシーンもありましたが、途中からは如何に甲斐武田家を存続させるかということに方針を転換し奔走する姿は、涙ぐましく、そんな姿に心打たれる家臣も出てきて、昔、従わない家臣たちを次々と粛清し恐怖政治を行っていたころとは全く違っていました。

 

映画なのでどこまでが史実なのかわかりませんが、晩年の武田信虎がどうしていたのか全く知らなかったので、結構感動しました。

 

登場人物のセリフが妙に説明っぽかったり、ファンタジー要素が含まれていたりとちょっとリアリティーがない部分もありましたが、武田信虎のことや江戸時代に武田家が復活していたこと、京都の老舗和菓子屋の虎屋との縁など知らなかったこともたくさんあったので大変勉強になりました。

 

信長、秀吉、信玄などのメジャーな武将だけでなく、ちょっとマイナーな武将を主人公にした作品も色々見てみたいですね。

愛知県刈谷市 史跡散策

刈谷市歴史博物館を見た後はせっかくなので市内の史跡を散策しました。

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刈谷市徳川家康の母親である於大の方の実家である水野氏が治めていたところということで、水野氏や於大の方ゆかりの史跡がいろいろあります。

 

刈谷城

博物館のすぐ南側には亀城公園という市民憩いの公園があり、ここには明治時代に廃藩置県が行われるまで刈谷城というお城がありました。

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於大の方の父親の水野忠政によって天文2年(1533)に築城され、改修されたり藩主が変わったりしながら明治時代に廃城されるまで刈谷藩の城として使われました。

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現在はかつてお城があった場所は野球場や体育館、芝生広場になっていて、石垣もなく、わずかに土塁と水堀の一部が残るのみとなっています。

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しかし、将来的には復元する計画が持ち上がっているようで、期待したいところです。

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椎の木屋敷跡

亀城公園から東へ10分ほど歩いたところに椎の木屋敷跡というところがあり、ここは夫の松平広忠から離縁されて実家に戻ってきた於大の方が再婚するまでの2年間住んでいたところだということです。

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椎の木屋敷跡に向かう途中の小学校にある追手門跡の石碑

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椎の木屋敷跡に向かう途中にある藩校跡


彼女の父忠政から家督を継いだ於大の方の兄の信元が、今川氏側から織田氏側に寝返ったので、今川氏から支援を受けていた松平広忠から離縁されて実家に返されて住んでいたということです。

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家同士、男たちの都合に振り回され、幼いわが子竹千代(徳川家康)とも離れ離れになって、於大の方はどんな心境でここでの日々を過ごしていたのでしょうか。

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2年後にはまた兄の思惑で別の家との政略結婚で嫁いでいったということですが、当時の女性にとっては当たり前のことだったのかもしれませんが、本人はこれも運命と受け入れていたのか聞いてみたいところです。

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楞巌寺(りょうごんじ)

椎の木屋敷跡から南へ30分ほど歩いたところにあるのが水野氏の菩提寺の楞巌寺です。

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於大の方刈谷に戻ってきてから再婚して再び刈谷を離れるまでの2年間、しばしば訪れていたということです。

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他家に嫁ぐことになった時、3歳で別れた竹千代や夫との思い出の品々をこのお寺に納めたそうです。

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こじんまりした小さなお寺を想像していたのですが、いざ行ってみると広い庭園があったり建物も大きくて立派でした。

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曹洞宗の総本山である福井県永平寺とゆかりがあり、室町時代に開かれたお寺で、広い庭園は美しく整えられていました。

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おわりに

刈谷市は戦国時代の史跡だけでなく、縄文時代の遺跡や明治時代の産業遺産など、歴史的見どころが多いところなのでいろんなテーマで楽しむことができそうです。

 

大きなお祭りが開かれたり、亀城公園は桜や藤の花の名所でもあるので、年間を通して楽しむことができる観光地なので、これからもチェックしていきたいです。

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刈谷市歴史博物館の企画展 「豊臣秀次~刈谷に新時代をもたらした関白殿下~」

愛知県東部の三河地方の刈谷市にある刈谷市歴史博物館で企画展「豊臣秀次刈谷に新時代をもたらした関白殿下~」という催しをしていると知り、行ってきました。

 

刈谷市歴史博物館はJR東海道本線逢妻駅から南へ徒歩15分ほどのところにあります

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平成31年3月に開館したばかりということでまだ4年もたっておらず、新しくてきれいな建物です。

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冊子によると開館時間は午前9時~午後5時、休館日は月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始などです。

 

観覧料は企画展ごとに異なっていて、常設展示のほうは無料とのことです。

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1階には地元のお祭り、2階には縄文時代から近代にいたる刈谷市の歴史に関する出土品や資料などが展示してある常設展示室があり、江戸時代の刈谷城の大きなジオラマもあり、なかなかの見ごたえでした。

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刈谷市豊臣秀次の企画展があると知った時には刈谷と秀次が結びつかなくてピンとこなかったのですが、秀次の関白時代は尾張地方と三河地方は豊臣秀次の領地だったのですね。

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秀次はずっと京都の聚楽第にいたというイメージしかなかったので知りませんでした。

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それもそのはずで、秀次自身はずっと京都にいてほかの大名や朝廷との付き合いで忙しくて、領国経営はもっぱら田中吉政などの宿老に任せていたようです。

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それでも企画展の説明文には「領地支配に手腕を発揮し」という文言があるのでそれなりの影響はあったのかもしれません。

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本人は直接現地に来なくても城代などを任せている家臣たちにあれこれ指示は出していたのでしょう。

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展示物には秀次や妻たちの肖像画や秀次が所有していたと伝わる宝物、書状などがあって、それらを見ながら彼の生涯をたどる構成になっていました。

 

はじめに、近江八幡城にいた時期、尾張三河領有期、秀次事件、おわりにの5部構成になっていて、それぞれの時期に合わせて展示物が並べられています。

 

僕が特に印象に残ったのは秀次が切腹した後にその妻たちまで全員処刑されるところを描いた絵巻き物で、斬られる前に念仏を唱えている人、嘆き悲しみ目頭を押さえている人、斬られた首を実検している人などが描かれていて、その時の様子がよくわかります。

 

豊臣秀次は小説やドラマでは「暴君」や「暗君」として描かれることが多いですが、後年の創作などで捻じ曲げられた部分も多々あるようで近年では教養が深い一面もあったことなど再評価もされているようです。

 

彼のことは断片的にしか知らなかったのでもっとちゃんと調べて勉強したいなと思いました。

 

 

 

ミツナリズム 1 鈴木コイチ 講談社

ミツナリズム(1) (モーニングコミックス)

あらすじ

本能寺の変を起こし信長を倒した明智光秀を山崎の戦で破って織田家での主導権を獲得した羽柴秀吉天正11年(1583年)には織田家の有力者の柴田勝家との対立が深まり、一触即発の状態になっていた。

 

この状況の中、次の戦はド派手に勝利して天下に自分の名を知らしめたいと考える羽柴秀吉石田佐吉(三成)にその方法を考えることを命じる。

 

悩んだ佐吉は同じく秀吉子飼の家臣たち、大谷紀之介(吉継)、福島市松(正則)、加藤虎之助(清正)を呼び出し、長距離移動の時に食べる携行食の飢渇丸(きっかつがん)〔食べると元気が出るまずい玉〕を賞品に徹底討論を開始する。

 

4人は果たして良いアイデアを出すことができるのか?

 

感想

石田三成を主人公にしたコメディー漫画です。

 

石田三成といえば頭脳明晰で他人に厳しく、いろんな人から恨みを買って関が原で敗れた武将というイメージが強いですが、この作品はコメディーなのでその性格も含めて面白おかしく和気あいあいと描かれていて、戦のシーンも凄惨な場面は出てこないので安心して読めます。

 

三成が主人公なのだからスタートは秀吉と出会う三献茶のエピソードから始まるのかと思ったのですが、いきなり賤ケ岳の戦い前夜から始まっています。

 

三成は福島正則加藤清正と違って主に兵站や物資の補給といった裏方の仕事が専門なので、そっち方面の話がいろいろ出てきて、戦国時代の戦についてまた違った角度から見ることができて勉強になります。

 

特に賤ケ岳の戦いでの大垣から木之本までの51㎞を15000の兵士たちが半日で走破したという美濃大返しがどのように準備されたのかや、太閤検地を行う理由、仕組み、具体的な方法といったことも描かれていて興味深いです。

 

僕が一番いいなぁと思ったのは石田三成福島正則が、しょっちゅう喧嘩しながらも心の底ではお互いのことを認め合っているというところです。

 

のちに激しく憎しみあって敵味方に別れて戦う二人ですが、この漫画では彼らの喧嘩もほのぼのとして描かれていて本当は仲がいいんだと思えます。

 

コメディー漫画であるこの作品でこの二人が今後どのように描かれていくのか気になるところです。

 

 

 

じんかん 今村翔吾 講談社

じんかん

あらすじ

天正5年(1577年)松永弾正久秀が5年前に続き二度目の謀反を起こしたとの知らせが安土城にもたらされる。

 

謀反を起こすことを宣言した久秀からの書状を織田信長に届ければ、怒り狂い、自分まで八つ当たりで折檻されるのではないかと小姓頭の狩野又九郎は覚悟するが、書状を読んだ信長はなぜか愉快気に笑い、「降伏すれば許すと伝えよ」とまで口にした。

 

信長を呆然と眺める又九郎に、信長が語り始めた、直接久秀から聞いたという彼の人生とは?

感想

この作品は、下剋上で裏切り裏切られ、簡単に人が殺されてしまう戦国時代においてさえ、大悪人と言われた戦国武将、松永弾正久秀の生涯を通して人間とは何なのかを語る哲学の書だと感じました。

 

人はなぜ生まれてくるのか、何のために生き、どこへ向かうのか、そして自分はこの世に何を残せるのか。

 

何も生産せずに無辜の民から収奪し、理不尽に人を殺す武士たちがのうのうと生き、何の罪もない人々が戦乱や飢えや病気で簡単に死んでいく時代に生まれ、生きてきた松永久秀が物語を通して人間とは何かを考え続けています。

 

神や仏が本当に存在するならなぜ武士たちに罰を下し民たちを救ってくれないのか。

 

武士たちをこの世からなくし、民のための平和な世の中を創りたいと努力し、次第に頭角を現す久秀の前に立ちはだかる人間たちの妬み、嫉み、そして、一番救いたいと願っていた民たちからの変化を嫌う抵抗という裏切りと失望。

 

人間とは何なのかを考え続け悩む久秀と、彼の願いに共感し、支え続ける弟の長頼や家臣たちが妬みや嫉み欲望といった人間の理不尽さのために次々に命を落としていく姿が切なくて悲しくて泣けました。

 

変化を恐れる人々が久秀を陥れるために次から次へとでっち上げるフェイクニュースのために、ついに三悪(主家乗っ取り、将軍暗殺、東大寺大仏殿焼き討ち)を行った大悪人に祭り上げられてしまう姿は現代の有名人たちがネットニュースや週刊誌で、あることないこと書かれてイメージを悪くしてしまうのとそっくりだなと思いました。

 

500年前の戦国時代も現代も人間の本質は何も変わっていない、人間を生かすのも殺すのも神や仏ではなくて人間なんだとこの作品を通じて強く感じました。

 

最新の研究では松永久秀が行ったといわれる三悪は濡れ衣であるということが明らかになりつつあるということなので、研究の成果をこれからも見守っていきたいです。

 

そして、この作品の舞台は主に奈良なので、松永久秀と縁が深い東大寺興福寺に久しぶりに行ってみたくなりました!

 

 

 

 

 

 

練習帆船「日本丸」と「海王丸」が名古屋港に寄港

帆船の「日本丸」(2570t)と「海王丸」(2556t)が11月4日から9日まで名古屋港ガーデンふ頭に停泊していると聞き、内陸部で生活していてしばらく海も見ていないし、帆船も一度見てみたいと思ったので行ってきました。

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手前が「日本丸」奥が「海王丸

地下鉄を乗り継いで、愛知県に転勤してきて9年目で初めて名古屋港を訪れました。

 

ガーデンふ頭というだけあって庭園のような公園が整備されていたり、水族館や港を展望できるビル、それに「南極観測船ふじ」も展示されていて、一日中楽しめるところでした。

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南極観測船ふじとタロ・ジロの銅像

コンクリート岸壁に二隻の帆船が停泊しているだけの光景を想像していたので、こんなに充実した施設があるところだとは知らず、下調べもせずに来たことを後悔しました。

 

普段はお城とか古戦場とか史跡巡りばかりしていて新しいところにはほとんど行ったことがない弊害が出ました。

 

しかしまあ、カップルやファミリーが楽しめても、それほど海や船に興味があるわけでもないアラフィフ独身、彼女なしのおっさんが一人で来ても虚しいだけかもしれませんが。

 

さて、二隻の帆船ですが、生で見るとそれほど大きいという印象はありませんが、さすが、それぞれ「太平洋の白鳥」とか「海の貴婦人」などと呼ばれているだけあって優美で品のある姿でした。

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日本丸

二隻同時に名古屋港に寄港するのは4年ぶりということですが、毎年どちらかが寄港しているとは知りませんでした。

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今回は名古屋港管理組合の設立70周年を記念しての同時寄港だということです。

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この「日本丸」と「海王丸」は二代目ですが、設計から建造まですべて国内で行われた純国産の姉妹船ということです。

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海王丸

初代はどちらも重要文化財に指定されて、「日本丸」は横浜に、「海王丸」は富山に常時停泊されています。

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僕は地元が石川県なので、「初代海王丸」は、お隣富山県にドライブで何度か見に行ったことがあります。

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日本丸」は一般の人が立ち入ることができる岸壁に停泊していて写真をパシャパシャ撮ることができたのですが、「海王丸」のほうは、一般の人が立ち入ることができないエリアの岸壁に停泊していて遠くから眺めることしかできませんでした。

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帆を張っているところも見たいと思いましたが停泊中は無理なのでしょう。

 

それでも十分美しいと感じました。

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夜はイルミネーションがともされてそれも美しいのでしょうが、残念ながら雨がぽつぽつ降ってきて傘も持っていなかったので滞在時間数十分で写真だけ撮って名古屋港を後にしました。

 

南極観測船ふじは中も見学できるようだし、名古屋港水族館も一度は来てみたいと思うので、今度は下調べをしっかりしてゆっくり訪れたいと思います。

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名古屋場周辺を散策

17時の閉館時間となったので外に出たのですが、何となく物足りない気分だったので、もう薄暗くなってきてはいましたが、天守閣や水堀越しの西北隅櫓のライトアップがみられるかと思い、名古屋場周辺をぐるっと一周してみることにしました。

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黄昏時の名古屋城

正門から出て時計と反対周りに一周することにして東のほうに向かうとまず見えてくるのが金シャチ横丁(義直ゾーン)です。

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金シャチ横丁(義直ゾーン)

初代藩主徳川義直の名前を冠したこちらのエリアは味噌煮込みうどんや名古屋コーチン料理、ひつまぶし、味噌カツなどの名古屋飯の定番が食べられる店が集結したゾーンです。

 

右手に金シャチ横丁、左手に名古屋城の巨大な空堀を眺めつつ東に向かって歩きます。

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やがて見えてくるのが二之丸大手二之門です。この門をくぐると現在は大相撲名古屋場所プロバスケットチームの試合が行われる愛知県体育館ドルフィンズアリーナ)があります。

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大手二之門

こちらにも大きな鏡石がありました。

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名古屋城の東の端には大津通りという市役所や県庁が並ぶ大きな通りが走っています。

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こちらにはもう一つの金シャチ横丁(宗春ゾーン)があります。

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尾張藩七代目藩主徳川宗春の名前を冠したこちらのゾーンは、あんかけパスタ、台湾まぜそば、オリジナルスパイスカレーといった新しい名古屋飯の店が集結したゾーンです。

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大津通りに沿って北に向かいこのゾーンを通り過ぎると低地に向かって下り坂になります。

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名古屋城の北側は低地なのでお堀に水が溜まって大きな水堀になっています。

この北東側の水堀越しに見る名古屋城天守閣が映えスポットになっています。

この日も黄昏にたたずむライトアップされた天守閣を写真に収めようと大きなカメラを構えた人が何人かいました。

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北側のお堀越しにみる天守閣も映えスポットです。

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水堀に沿って西のほうに歩いていくと見えてくるのが西北隅櫓です。

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水堀を隔てて眺めるこの西北隅櫓の景色が僕は大好きで、正門とは反対側なのでぐるっと半周しないといけないのですが、名古屋城に来ると必ず見に来ています。

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一説には清洲城天守閣を移してきたともいわれ、清州櫓という別名もあります。

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この櫓だけで福井県にある丸岡城天守閣より大きいということで、天下普請で建てられた名古屋城のスケールの大きさを感じます。

 

名古屋城の周辺を一周し終わったときにはすっかり日が暮れていましたが、天守閣や西北隅櫓のライトアップが見られたので満足のいく散策になりました。