とっく~ブログ 

読んだ本の紹介をメインに、小説に出てきた聖地巡礼や、写真など

戦国時代史跡巡り

晩秋の清洲城

2020年11月21日土曜日。本日の愛知県の天気は快晴☀️天気はとてもいいのですが20℃を超えた昨日までとは違って今日の予想最高気温は18℃で、北西(?)の方から強い風が吹いてきていて少し肌寒いです。原付に乗るときも昨日までは薄い長袖のパーカーを羽織った程…

晩秋の小牧山

2020年11月18日水曜日。今日の愛知県一宮市も天気は快晴☀️今日の気温は6日連続の20℃超えだそうです。昼過ぎに外に出てみると少しムシムシと湿度を感じる暑さです。Tシャツ一枚の上にパーカーを着ただけの格好で原付で走っていてもちょうどよい涼しさを感じる…

細かすぎて伝わらない城跡 一宮城

尾張一宮駅東口を出て457号線沿いにアーケード街を西に進むと三菱UFJ銀行の建物が見えてきます。 その建物の入り口に向かって左側の木の下にひっそりと石碑がありました。 一宮城は真清田神社の神官を務めた関氏という一族が年代ははっきりしないようですが…

細かすぎて伝わらない城跡 下奈良城

下奈良城は現在の愛知県一宮市にありました。天正十二年(1584)の小牧長久手の戦いの際に、小牧山城に入った織田信雄・徳川家康連合軍に対する最前線の砦として羽柴秀吉が一時的に築いたものだそうです。 羽柴秀吉と織田信雄の間で講和が成立した後に廃城とな…

細かすぎて伝わらない城跡 大赤見城

僕が住む愛知県一宮市や隣の江南市、小牧市は尾張の北西部に位置していて敵対する美濃の国とは木曽川を挟んで対峙していたためか、砦のような細かい城がたくさんあったようです。 今ではそのほとんどが開発されてしまい遺構も残っていません。僅かに石碑が建…

細かすぎて伝わらない城跡 苅安賀城

コロナ禍で愛知県は独自の緊急事態宣言を出し、県をまたいでの外出は控えなくてはならないのに加え、38度を超えるような猛暑で外に出るのも億劫なので、近所の今は石碑しか立っていないような細かい城跡を巡ってみようと思いました。 現在の愛知県一宮市にあ…

ぎふ可児大河ドラマ館

気温38度の猛暑の中、岐阜県可児市にある花フェスタ記念公園に行ってきました❗ ここは明智光秀の生誕の地の可能性が高い明智荘からも近いということで公園内で明智光秀博覧会という催しが開かれています。 花フェスタ記念公園はナゴヤドーム約17個分の広大な…

岐阜市歴史博物館 「麒麟がくる」大河ドラマ館

大雨で長良川が増水して、係留されていた鵜飼いの警備船が2隻も流されるほどの大変な日の翌日でしたが幸い雨も止んだので、岐阜市歴史博物館で来年1月まで開催予定の「麒麟がくる」大河ドラマ館に行ってきました岐阜市歴史博物館は山頂に岐阜城が建つ金華山の…

織田信長が美濃国獲得への大手をかけた十四条・軽海の戦い

永禄四年(1561)森部の戦いで勝利し墨俣砦を手にいれた織田信長は、さらに十九条城を築城し美濃国内部に楔を打ち込む形となりました。森部の戦いのわずか数日後に、この十九条城を落とすために斎藤龍興が兵を挙げたのが十四条・軽海の戦いです。 十四条の戦い…

織田信長の美濃攻略の拠点だった十九条城

永禄四年(1561)の森部の戦いで勝利し、日比野下野守が守っていた墨俣砦を手にいれた織田信長でしたが、さらに美濃国内深くに楔を打ち込むために築いたのが十九条城でした。墨俣砦から北西に4キロほど行ったところにある十九条城は元々は大永六年(1526)に土岐…

前田利家 帰参と飛躍のきっかけ 森部の戦い

頻繁に車が通り、交通量の多い長良川沿いの土手のすぐ下にある薬師堂に、かつてここで戦があったことを知らせる痕跡が残っています。永禄四年(1561)美濃の斎藤義龍が35歳で病死。 これを好機と見た織田信長は義龍の死のわずか三日後という電光石火の早さで西…

織田信長と斎藤道三が会見した聖徳寺

若き日の織田信長と美濃の蝮斎藤道三が会見したという、戦国ファンにとっての名シーンの舞台である愛知県一宮市冨田にある聖徳寺に行きましたとはいえ、今は寺は名古屋市内に移ってしまい、現在はバス停と当時の事を解説するプレートや石碑があるだけですが…

尾張国 岩倉城跡

愛知県岩倉市にある名鉄岩倉駅から歩いて10分程のところにあるのが岩倉城跡です。近くに大きなアピタが建つ大通り沿いに油断していると見逃してしまうほどひっそりと今は石碑が建ってるだけで遺構なども残っていません。しかし戦国時代には東西約104メートル…

織田信長が大蛇を探した蛇池

佐々成政が誕生した比良城から南へ車で5分程の所に蛇池があります。今では野球場やテニスコート、遊具施設もある公園として整備されていて、春には千本桜が咲き乱れる名所にもなっています。この蛇池には大蛇が住むと言われ、又左衛門という者が目撃したとい…

織田信長が村木砦の戦いで本陣を置いた村木神社

JR武豊線尾張森岡駅から始まる「90分で巡る織田信長戦いの跡」も村木砦跡、飯喰場とめぐって最後の目的地である村木神社にやって来ました戦いの跡を巡るルートをぐるっとたどると一時間以上かかりますが、村木神社から村木砦跡までは歩いても15分ほどなので、…

村木砦の戦いのゆかりの地巡り

JR武豊線尾張森岡駅を降りたところにある案内板で村木砦跡を訪問して当時を偲んだ後は次の目的地である飯喰場へと向かいました。はじめてきたこともあってどの道を行けばいいのかもわからず、結局ルートから外れて道に迷いながらも20分程かけてなんとかたど…

北政所おね、浅野長政所縁の浅野公園

愛知県一宮市の国道22号線から少し入った住宅地の中に浅野長政や後の北政所おねが子供の頃を過ごしたという浅野公園があります。 ここはかつて浅野長政の養父の浅野長勝が築いた浅野城があって、長勝に子供がなくて養子となった長政がやって来たとのことです…

織田信秀が築城した末森城

織田信長の父である織田信秀が築城し、信長と織田信勝兄弟の抗争の舞台となった末森城は現在、大都会のビルやマンションのなかに緑を残して人々の憩いの場となっています。 末森城は天文16年~17年(1547~1548)にかけて現在の名古屋市千種区に三河の松平、駿…

愛知県名古屋市西区 稲生の戦い古戦場

弘治2年(1556年)8月、織田信長とその弟の織田信勝の軍勢が激突した稲生の戦い。 その古戦場は今は小さな祠と立て看板でかろうじて当時を偲ぶことが出来ます。 1700の織田信勝の軍勢に対して半分以下の700という軍勢で敵を撃破した織田信長軍。 敵の有力武将…

稲生の戦いで佐久間盛重が守った名塚砦

現在は住宅街となっている、乗用車一台がなんとか通れるような狭い道路の先にそれはありました。 弘治2年(1556)、弟の織田信勝の謀反を察知した織田信長が清洲城守備の要として築いた砦です。 織田家の重臣である林通勝・通具兄弟や柴田勝家が率いる信勝軍17…

織田信長の天下布武の経済的礎 津島湊

450年以上前に若き日の織田信長が庶民たちと踊ってバカ騒ぎしたり、天王祭を見物した津島湊は一年中花が咲き誇る公園になっていました❗ 「嵐を呼ぶ男!NOBUNAGA」杉山大二郎(徳間書店)を読んで印象的なシーンだったのが第2章の冒頭で描かれている津島天王祭の…

愛知県江南市で吉乃の方の所縁の地巡り

ブログで紹介した「嵐を呼ぶ男NOBUNAGA」という作品の中に生駒氏の娘で類(るい)という魅力的な女性が登場します。 男まさりの激しい気性で信長をうつけと呼び、口汚く罵ったりするけど実は信長に惚れていて、物語の後半では生死もわからず行方不明になってしま…