僕は前田利家が戦国武将の中で一番好きで、織田信長や豊臣秀吉など、他の戦国武将たちとのエピソードなんかも色々調べたりしています。
その中でも柴田勝家とのエピソードは感動的で泣けるものが多いので、たくさんの人に知ってもらいたいです。
柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉と争って敗れ、越前北ノ庄城でお市の方と共に自害した悲劇的な武将として知られています。
織田家に父の代から仕える宿老で、はじめは織田信長の弟である織田信勝に仕えて稲生の戦いでは信長や利家と敵味方に分かれて戦ったこともあります。
ドラマなんかでは猛将として豪快な猪武者に描かれる事も多くて、秀吉をいじめたり何かと対立してあまり良いイメージでない人も多いかと思います。
でもその一方で人情にあつい優しいところもあって、前田利家との感動的で泣けるエピソードが伝わっています。それを三つ紹介したいと思います。
その一 拾阿弥斬殺事件での助命嘆願
永禄二年(1559)6月、前田利家が20代前半の頃、妻のまつにプレゼントされた笄(こうがい)を盗んだ織田信長お気に入りの同朋衆の拾阿弥を信長の目の前で斬り捨てました。
信長は怒り狂い、成敗すると言いましたが、柴田勝家と森可成が必死に押し止めて助命嘆願し、なんとか死罪は免れて出仕停止という処分になったのでした。
利家は妻と生まれたばかりの長女を抱えて困窮しましたが、勝家は知人を紹介するなど救いの手を差しのべたそうです。
信長から目をつけられて、かつての同僚たちが離れていくなかで柴田勝家は以前と変わらず接してくれたことを利家は後々まで感謝して夜話で語ったそうです。
その二 信長への口添え
永禄四年(1561)の森部の戦いにおいて前田利家は敵の豪傑「頸取り足立」こと足立六兵衛を討ち取ってようやく織田信長の許しを得て織田家に帰参します。
この時に帰参をとりなしたのが柴田勝家だったとのこと。
また、同じ頃の事として利家と佐々成政がひとりの敵を同時に突き倒した事があって、お互いに「お前の手柄だ❗」と言って譲り合うということがあったそうです。
その事を織田信長に勝家が話したので、信長は利家と成政の武勇と勝家の公正さを称賛したということです。
その三 賤ヶ岳敗北後の潔さ
天正十一年(1583)四月、賤ヶ岳の戦いで前田利家の突然の撤退で柴田勝家は羽柴秀吉に敗れました。
この時に先に自分の居城である府中城に戻っていた利家のもとにやって来た勝家は利家を罵倒したり責めることもせず、それどころか今までの労に感謝してねぎらいました。
お前は秀吉とは仲が良いのだから、これからは秀吉に仕えて家を興せとアドバイスし、北ノ庄城へ戻って行ったのでした。そして人質として預かっていた娘の摩阿を送り返してきたそうです。
若い頃からの恩人で「おやじ様」と呼んで慕っていた柴田勝家を裏切らなくてはならなかった前田利家の心中はいかばかりだったか…。