とっく~ブログ 

読んだ本の紹介をメインに、小説に出てきた聖地巡礼や、写真など

村木砦跡

愛知県知多郡東浦町にあるJR尾張森岡駅という小さな無人の駅に降り立つとホームからこんもりとした森が見えます。それは八剱神社という神社の寺社林で、そこがかつての村木砦です。

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戦国時代にはこの砦のすぐそばまで海岸線が迫っており、近くには大浜湊という重要な海運貿易の拠点があり、今川方にとって大きな収入源でした。

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緒川城を居城にしている織田方の水野信元はこの湊を手に入れんとしてたびたび攻撃したために、今川方はついに本格的に水野信元を排除しようとして築いたのが村木砦でした。

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今では、かつての城域のど真ん中をJR武豊線に分断されていますが神社の境内には親切で解りやすい案内板が設置されているので当時の様子をうかがい知ることが出来ます。

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この村木砦をめぐって繰り広げられたのが村木砦の戦いです。


天文二十三年(1554)1月に緒川城にいる水野信元を救援しようと織田信長が兵を挙げました。


信長は伊吹おろしと呼ばれる強風で海が荒れ、船頭や漕手が尻込みするのを説得して船を出させて渡海し、1日で村木砦を攻略しました。

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信長は自身の戦でこの時初めて鉄砲を使用したそうですが、力攻めで激しい戦いになったので、そば近くに仕えていた小姓たちに多くの犠牲者を出し涙を流したとのことです。


ちなみに前田利家はこの戦にどのように関わっていたのか、調べてみてもほとんど記述が無くてよくわかりませんでした。

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しかし、この頃の利家は常に信長のそば近くに仕えていたので共に戦い同僚たちの死に信長と共に涙したことでしょう。


また、戦の前に一番家老の林秀貞とその弟の通具は信長が清州織田家への備えとして斎藤道三の美濃勢を援軍として滞陣させたことに反発して荒子城に退去してしまいました。

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荒子城は前田利家の実家ですが、父の利春や長男の利久は林秀貞に仕えていたからです。

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四男である利家は家督を継ぐ可能性が無かったので信長に仕えて行動をともにしていましたが、実家と敵対するような形になったことや、実家が信長に反した林兄弟を受け入れた事への責任など複雑な想いにかられたのではないでしょうか。


この村木砦の戦いは信長がまだ尾張の統一や身内との争いで悪戦苦闘していた若い時の話で、天下統一に邁進した華々しい活躍の時期に比べて地味なためか、小説でもあまり描かれていないようです。


自分が知っている限りでは「嵐を呼ぶ男!NOBUNAGA」杉山大二郎(徳間書店)だけです。

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この作品では第2章を丸々使って村木砦の戦いが描かれていて、嵐に尻込みする船頭たちを説得するシーンや水野信元のもとに駆けつけるシーン、戦死した仲間たちの遺体を見て信長が涙するシーンが感動的に描かれています。


あと、数ページではありますが「信長の原理」垣根涼介(角川書店)では家老の林秀貞の目線からの村木砦に向かう信長が描かれていて、まだ評価が定まっていないこの頃の信長を家臣たちがどのように見ていたのか興味深いです。

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村木砦の戦いを描いた作品が今後も出てくることを期待したいです🎵