永禄四年(1561)森部の戦いで勝利し墨俣砦を手にいれた織田信長は、さらに十九条城を築城し美濃国内部に楔を打ち込む形となりました。
森部の戦いのわずか数日後に、この十九条城を落とすために斎藤龍興が兵を挙げたのが十四条・軽海の戦いです。
十四条の戦いでは互いの軍勢の数は不明ですが、信長の従兄弟で十九条城を任せていた織田広良が討ち死にするなど美濃勢が優勢に戦ったようです。
この戦いはドラマや小説にも取り上げられる事もなくて、あまり有名ではありません。現地に行ってみましたが立て札などもなく、どうやらこの辺らしいということしかわかりません。
今は古い墓石やお地蔵さまが並んでいますが十四条の戦いとの関連は不明です。
この辺りは今は田んぼや畑が地平線の向こうまで広がっていて、遠くに稲葉山城のある金華山をのぞむことが出来ます。