つい先日、佐藤究さんの「テスカトリポカ」とともに直木賞をダブル受賞した作品です。
江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した天才絵師の河鍋暁斎の娘で明治大正期に活躍した女性絵師の河鍋暁翠(とよ) を主人公にした作品です。
河鍋暁斎の死後、偉大な父を超えんと足搔き苦しみながら、同じく父の陰に苦しむ腹違いの兄、河鍋暁雲(周三郎)との確執や、あちこちに借金を作ってふらふらする同母弟の記六に悩まされるとよ。
また、明治の世となり、文明開化となって西洋画がもてはやされ、とよたちが学んだ日本画が古いものとみなされ廃れていく時代にどのような絵を描いていけばいいのか悩んだ末に彼女がたどり着く境地とは。
この作品を読んで河鍋暁斎や、娘の暁翠の存在を初めて知りました。
作品を読み始めたときは河鍋暁翠という明治大正時代を生きた女性絵師の目を通じて日本絵画の歴史やその時代の出来事をメインに語られる歴史小説だと思っていました。
もちろんその頃に活躍した有名な画家がたくさん出てきたり、日清、日露戦争や関東大震災といった当時の話も出てくるのですが、読んでいる途中からこの小説は歴史ではなく、家族を描いた作品だと思うようになりました。
父や兄に対する愛憎、根無し草のような生活を送る弟、長く生きられそうにない体の弱い妹、絵に対し全く無関心な夫、良妻賢母な女性が良いとされた時代に夫と離婚しシングルマザーとして娘を育てながら絵を描いていこうと決意するとよ。
他にも河鍋暁斎の元弟子で大店の主人でありながら家業や家族を顧みずに趣味や愛人に大金を使う放蕩生活を送り、ついには妻に見限られて親戚から追放され、身を亡ぼす人。
同じく家業や家族を顧みずに絵に打ち込みすぎて妻や息子に恨まれる人。
一方で、偏屈な性格で病に侵されながらも人生のすべてを絵に捧げる河鍋暁雲とそんな彼を明るい性格で支え続ける妻など、現代と変わらぬ家族たちの人間模様が描かれています。
「夫婦とは何だ、育ちも考えも違う男女が寄り添い続けるには互いの傷をなめ合うかいがみ合うかの手立てしかないのか。だとすれば家族は。兄弟は。師弟は。人の世に暮らすとは畢竟、誰かの無理解に責め苛まれることなのか」
何かを極めるためには大切な家族を犠牲にしなければいけないのか、それが赤い血ではなく黒い墨が体内を流れる、墨だけで結びつけられた画鬼の棲家の住人の宿命なのか。
まもなく東京オリンピックが開幕しますが、参加するアスリートの中にもすべてを犠牲にして競技に打ち込んできた人も多いかと思います。
コロナ禍で緊急事態宣言が出されている東京で行われる異例ずくめのオリンピックですが、良い結果が残せるように今までの努力や思いをぶつけてほしいと思います。
澤田瞳子さんの作品は、「火定」「泣くな道真」に続いて3作目でしたが、前の2作とはまた違ったテイストでしたが、心に残る作品となりました。