僕が大好きな戦国武将、前田利家の重臣、奥村永福の生誕地が、自分が住む一宮市にあるということを最近知ったので行ってみました。
奥村永福は加賀100万石の礎を築いた戦国武将、前田利家の重臣で、利家の父の利春の時から前田家に仕え、利家の兄である利久に家督が移ってからも仕えていました。
信長の命令で利久から利家に家督が相続されるときには荒子城代を務めていて、利家が入城するときには利久の命令がない限り城は明け渡さないと言って利家の入城を拒むという気骨を見せました。
そのことでしばらく浪人しましたが越前攻めのころから再び前田家に帰参し、武功をあげました。
前田利家と佐々成政が戦った末森城の戦いでは利家の援軍が到着するまで少数の兵で末森城を守り抜き、15000の佐々成政の軍勢を撃退しました。
奥村家は加賀藩の重臣の家である加賀八家のひとつとして江戸時代は2万石近い石高を持ち前田家を支えました。
その奥村永福の生誕地がこんな近くにあったとは知りませんでした。
勝手に荒子城がある今の名古屋市中川区周辺だと思っていました。
奥村永福の生誕地を示す石碑が一宮市奥町にある貴船神明社の境内に入ってすぐ右手にありました。かなり大きな石碑ですが解説板などもなくひっそりと建っていて、参拝者にも顧みられないような感じでした。
ちなみに境内の一番奥には梶川高盛公宅址と刻まれた小ぶりの石碑が建っています。
この神社は戦国時代のころは、この場所から西に車で5分ほどのところにあった奥城という城の城主であった人の屋敷があったということです。
そうなると奥村永福と梶川高盛との関係が気になるところですがその辺の説明も全くなく、謎のままです。
梶川高盛の屋敷で永福が生まれたのか、母親が梶川氏なのかとか知りたいところです。
奥城にも行きたかったのですが時間がなかったので今回はやめておきましたが、現在は幼稚園や住宅地になっていて遺構も残っておらず、石碑があるだけの細かすぎて伝わらない城となっているようです。