岐阜関ケ原古戦場記念館を堪能した後にJR関ヶ原駅まで戻る10分ほどの行程にも合戦ゆかりのポイントがいくつかあったので行ってみました。
まず、古戦場記念館の裏手、すぐ西側は陣場野公園といって、徳川家康が最後の陣を置いた場所です。
家康は合戦勝利の後この場所でに東軍の武将たちの引見を受けたり、討ち取られた敵の武将たちの首実検を行ったそうです。
家康が床几を置いて座った場所には今は石碑が建てられています。
かなり昔に観たのでなんのドラマかもう忘れましたが、印象に残っているシーンがあって、それはこの場所で家康が東軍諸将たちの引見を受けている最中に、西軍を裏切って東軍の勝利に貢献した小早川秀秋が訪れて、大勝利に導いた功労者のはずがその場にいた武将たちから白い目で見られて小さく縮こまってしまうというシーンを思い出しました。
ここから駅に向かって5分も歩かないところには東首塚があります。
こちらは、当時この地の領主だった竹中半兵衛の息子の重門が家康の命を受けて敵味方関係なく犠牲者の遺体を埋葬したところです。
今は立派なお堂や解説板がありますが、首塚そのものは風化してしまったものか、現存していないそうです。
こことは別のところには西首塚もあるようですが、少し離れているので今回はいきませんでした。
この辺りは駅から古戦場記念館へ向かう人の気持ちを盛り上げるための演出なのか、家紋の入った幟旗や看板があちこちにありました。
JR関ヶ原駅へ戻るまでの歩道には関ヶ原の戦いを時系列で解説した板が設置されていてとても勉強になります。
また、古戦場を散策するための武将別モデルコースも書かれていて、今度来た時にはぜひめぐってみたいと思いました。
本当は、古戦場記念館を堪能した後は関ヶ原の最北端にある笹尾山の石田三成が陣を置いた場所まで行ってみようと思っていたのですが、僕が住む愛知県一宮市は快晴だったのに、ここ関ヶ原町は時々雨が降るあいにくの天気で、傘を持ってきていなかったので、駅周辺だけにしておきました。
関ヶ原町のあるあたりは伊吹山と鈴鹿山脈のちょうど切れ目に位置していて、だから古代から関所が置かれるほど東西を結ぶ重要な交通路になっていたのですが、冬は日本海からの季節風や雪雲がこの切れ目に流れ込んできて結構雪が積もるので冬に訪れる時は注意が必要です。
僕が訪れたこの日も、まだ秋だと思って油断していたのですが、西高東低の冬型の気圧配置で、太平洋側は晴れているのに日本海側は雨が降っていました。
そのため関ケ原町もパッと晴れたかと思うと急に暗くなって雨が降り出したりとかなり不安定な天気でした。
僕は北陸地方で生まれ育った人間なので、日本海側はこれから11月から3月くらいまでは毎日どんよりとした低い雲が立ち込めて雨や雪ばかりの日が続くの知っているのですが、関ヶ原町の辺りもこの影響を受けるので、これから冬に訪れるときには注意してください。
いずれにしても本格的な冬が到来する前にまた訪れて散策したいと思いました。