先日、関ヶ原観光ガイドのサイトで見つけた関ヶ原散策のモデルコース「西軍大好きコース」を歩いてきました。
関ヶ原の戦いの決戦地や開戦地、石田三成や島津義弘、大谷吉継といった西軍側の武将たちの陣跡を見て回ったのですが、各ポイントに向かう途中の道すがら、歩かないと絶対見逃してしまうような面白いものもいくつも発見したので紹介します。
岐阜関ケ原古戦場記念館~決戦地
コースの起点になる岐阜関ケ原古戦場記念館から関ケ原の合戦の最後の決着がついた決戦地まで約30分あるのですが、その途中の電柱に関ケ原の合戦についてや、戦いに参加した武将たちの豆知識やが書いてあるものが何本もあって、とても勉強になります。
また、目的地まで案内する看板もシャープでおしゃれなかっこいいもでした。
決戦地~島左近陣跡
決戦地から島左近や石田三成の陣跡までは5分もかからない距離なのですが、その途中に不思議なものを見つけました。
決戦地の左奥が島左近と石田三成の陣跡なのですが、右手にすっかり時期が過ぎてしまったコスモス畑があって、その真ん中にポツンとピンク色に塗られたドアが置かれていました。
インスタ映えを狙っての演出なのでしょうか?
すっかり時期を過ぎてしまって枯れかけているコスモス畑の中にドアが一つぽつんと置かれている光景は、ここが関ヶ原ということもあってか、もの悲しく感じました。
まさに兵どもが夢の跡といったところでしょうか。
石田三成陣跡~島津義弘陣跡
島津義弘の陣跡の前には神明神社という古くて趣のある神社が建っていて、島津の陣跡を隠してしまっているので、うっかり通り過ぎてしまいました。
解説板によると、現在神社のあるの場所は当時とは違うようですが、島津義弘も参拝に訪れたそうです。
島津義弘陣跡~開戦地
島津の陣跡から開戦地まではほんの2・3分の距離なのですが、その途中に不思議な彫刻がある公園を見つけました。
関ケ原の合戦400年記念の時に平和を願って世界的な彫刻家と協力して整備されたものだそうです。
ちょうどいい休憩ポイントになりました。
開戦地
井伊直政と松平忠吉の部隊が銃撃して始まったという開戦地は今の時期は一面のススキ野原になっていました。
合戦が行われた日は西暦でいえば10月21日ということでまさにこの時期なので、当時もこのような光景の中で激戦が繰り広げられたのかと思うと感慨深いです。
開戦地~宇喜多秀家陣跡
関ヶ原町の散策は初めてだったので、何箇所か道を間違えてしまったのですが、ここでもうっかり道を間違えてしまいました。
でもそのおかげですごいものを発見してしまいました。
金網に引っ掛けてある無数の鹿の角と頭蓋骨です。
僕はトラック運転手として愛知、岐阜、三重の東海三県を夜中に走っているのですが、以前関ヶ原のあるエリアを担当していた時、よく野生の鹿を見かけました。
猛スピードで走るトラックの前に飛び出してくるので、可哀想な死骸もよく見かけたのですが、そんな鹿たちのものなのでしょうか?あるいは農産物被害のために狩られたものかもしれません。
この光景はちょっと衝撃でした。
大谷吉継・湯淺五助の墓~大谷吉継陣跡
この辺りはずっと山道を上り下りしなくてはいけないので登山靴など滑りにくい靴を準備しておいたほうがよさそうです。
地元の方々が大切に整備してくれているようですが、舗装はされていない土の道なので、雨が降った後なんかは特に注意が必要です。
大谷吉継の墓に向かうときにはどんよりと曇っていて、木々に覆われた山道は薄暗くて、少し気味が悪かったのですが、墓に手を合わせて陣跡に向かう頃からだんだん雲の切れ間から日が差してきて、もしかして、大谷吉継が僕を歓迎してくれているのかなと思ってうれしくなりました。
若宮八幡神社~西首塚
若宮八幡神社から西首塚まで向かう道は旧中山道なので、古代に行われた壬申の乱のゆかりの地や東軍の武将の陣跡もあります。
今回は目的の趣旨が違うことと、すでに10キロ近く歩いていたこともあってとても立ち寄る余裕もなかったので、次の機会に譲ることにしました。
壬申の乱に関しては、もう、30年以上前、高校生の頃に夢中になって読んでいた歴史ファンタジー「宇宙皇子」(藤川桂介)の冒頭を飾る歴史的大事件なので、いつかちゃんと勉強して改めて訪れてみたいです。
このあたりの電柱にも合戦の豆知識やクイズが張られていて勉強になりました。
いったい何か所くらいこういうのがあるのか、案内とかスタンプラリーのような冊子でもあればいいのですが。
まだまだ見ていないところがこの関ヶ原にはたくさんあるので、これからも何度でも訪れてみようと思います。