とっく~ブログ 

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じんかん 今村翔吾 講談社

じんかん

あらすじ

天正5年(1577年)松永弾正久秀が5年前に続き二度目の謀反を起こしたとの知らせが安土城にもたらされる。

 

謀反を起こすことを宣言した久秀からの書状を織田信長に届ければ、怒り狂い、自分まで八つ当たりで折檻されるのではないかと小姓頭の狩野又九郎は覚悟するが、書状を読んだ信長はなぜか愉快気に笑い、「降伏すれば許すと伝えよ」とまで口にした。

 

信長を呆然と眺める又九郎に、信長が語り始めた、直接久秀から聞いたという彼の人生とは?

感想

この作品は、下剋上で裏切り裏切られ、簡単に人が殺されてしまう戦国時代においてさえ、大悪人と言われた戦国武将、松永弾正久秀の生涯を通して人間とは何なのかを語る哲学の書だと感じました。

 

人はなぜ生まれてくるのか、何のために生き、どこへ向かうのか、そして自分はこの世に何を残せるのか。

 

何も生産せずに無辜の民から収奪し、理不尽に人を殺す武士たちがのうのうと生き、何の罪もない人々が戦乱や飢えや病気で簡単に死んでいく時代に生まれ、生きてきた松永久秀が物語を通して人間とは何かを考え続けています。

 

神や仏が本当に存在するならなぜ武士たちに罰を下し民たちを救ってくれないのか。

 

武士たちをこの世からなくし、民のための平和な世の中を創りたいと努力し、次第に頭角を現す久秀の前に立ちはだかる人間たちの妬み、嫉み、そして、一番救いたいと願っていた民たちからの変化を嫌う抵抗という裏切りと失望。

 

人間とは何なのかを考え続け悩む久秀と、彼の願いに共感し、支え続ける弟の長頼や家臣たちが妬みや嫉み欲望といった人間の理不尽さのために次々に命を落としていく姿が切なくて悲しくて泣けました。

 

変化を恐れる人々が久秀を陥れるために次から次へとでっち上げるフェイクニュースのために、ついに三悪(主家乗っ取り、将軍暗殺、東大寺大仏殿焼き討ち)を行った大悪人に祭り上げられてしまう姿は現代の有名人たちがネットニュースや週刊誌で、あることないこと書かれてイメージを悪くしてしまうのとそっくりだなと思いました。

 

500年前の戦国時代も現代も人間の本質は何も変わっていない、人間を生かすのも殺すのも神や仏ではなくて人間なんだとこの作品を通じて強く感じました。

 

最新の研究では松永久秀が行ったといわれる三悪は濡れ衣であるということが明らかになりつつあるということなので、研究の成果をこれからも見守っていきたいです。

 

そして、この作品の舞台は主に奈良なので、松永久秀と縁が深い東大寺興福寺に久しぶりに行ってみたくなりました!