愛知県東部の三河地方の刈谷市にある刈谷市歴史博物館で企画展「豊臣秀次~刈谷に新時代をもたらした関白殿下~」という催しをしていると知り、行ってきました。
刈谷市歴史博物館はJR東海道本線逢妻駅から南へ徒歩15分ほどのところにあります
平成31年3月に開館したばかりということでまだ4年もたっておらず、新しくてきれいな建物です。
冊子によると開館時間は午前9時~午後5時、休館日は月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始などです。
観覧料は企画展ごとに異なっていて、常設展示のほうは無料とのことです。
1階には地元のお祭り、2階には縄文時代から近代にいたる刈谷市の歴史に関する出土品や資料などが展示してある常設展示室があり、江戸時代の刈谷城の大きなジオラマもあり、なかなかの見ごたえでした。
刈谷市で豊臣秀次の企画展があると知った時には刈谷と秀次が結びつかなくてピンとこなかったのですが、秀次の関白時代は尾張地方と三河地方は豊臣秀次の領地だったのですね。
秀次はずっと京都の聚楽第にいたというイメージしかなかったので知りませんでした。
それもそのはずで、秀次自身はずっと京都にいてほかの大名や朝廷との付き合いで忙しくて、領国経営はもっぱら田中吉政などの宿老に任せていたようです。
それでも企画展の説明文には「領地支配に手腕を発揮し」という文言があるのでそれなりの影響はあったのかもしれません。
本人は直接現地に来なくても城代などを任せている家臣たちにあれこれ指示は出していたのでしょう。
展示物には秀次や妻たちの肖像画や秀次が所有していたと伝わる宝物、書状などがあって、それらを見ながら彼の生涯をたどる構成になっていました。
はじめに、近江八幡城にいた時期、尾張三河領有期、秀次事件、おわりにの5部構成になっていて、それぞれの時期に合わせて展示物が並べられています。
僕が特に印象に残ったのは秀次が切腹した後にその妻たちまで全員処刑されるところを描いた絵巻き物で、斬られる前に念仏を唱えている人、嘆き悲しみ目頭を押さえている人、斬られた首を実検している人などが描かれていて、その時の様子がよくわかります。
豊臣秀次は小説やドラマでは「暴君」や「暗君」として描かれることが多いですが、後年の創作などで捻じ曲げられた部分も多々あるようで近年では教養が深い一面もあったことなど再評価もされているようです。
彼のことは断片的にしか知らなかったのでもっとちゃんと調べて勉強したいなと思いました。