とっく~ブログ 

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織田信長が父親の葬儀で位牌に抹香を投げつけたエピソードの舞台 萬松寺

名古屋市の繫華街のひとつ大須商店街の中にある、織田信秀、信長親子や徳川家康とゆかりの深い寺萬松寺に行ってきました。

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萬松寺は天文9年(1540)に織田信長の父、信秀が織田家菩提寺として開基しました。

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当時、織田信秀は古渡城城主として一円を支配していて現在の所在地から少し北の中区錦辺りに約5万5千坪(東京ドーム4個分)程の広さに大殿を中心に七堂伽藍の備わった一大寺院として建てられたということです。

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織田信秀は津島湊や熱田湊を支配下におさめていて、その収入からかなりの経済力をつけていたということでこの巨大寺院建設からもその力がうかがえます。

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このお寺での有名なエピソードといえば父、信秀の葬儀に遅れてやってきた織田信長が位牌に抹香を投げつけてそのまま立ち去るという超有名なエピソードでしょう。

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300人の僧侶が読経している厳粛な空気の中、喪主でありながら遅刻してやってきた信長は茶筅巻のヘアスタイルに腰には荒縄を帯代わりにして大小の太刀を腰に差すというファッションで仏前に進み出て抹香を鷲掴みにするなり父親の位牌に投げつけるという破天荒な行動をとって周囲のひんしゅくを買いました。

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なんでこんな行動をとったのかについては諸説ありますが結果的にこの後、家老の平手政秀は責任を感じて切腹切腹した原因については他にも諸説あり)するわ、柴田勝家林通勝といった宿老には裏切られるわ、弟の信行には謀反を起こされるわさんざんな目にあいました。

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また、徳川家康ともゆかりがあって、家康が竹千代と名乗っていた時に9歳まで3年程織田家の人質になっていましたが、この萬松寺に保護されていた時期もあるそうです。

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また、名古屋城築城の折に家康の命令で現在の地に移転してきました。

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初めて萬松寺を訪れてびっくりしたのですが電光掲示板やネオン、からくり人形といったとても現代的な仕掛けを施したお寺でした。

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名古屋大空襲で大須商店街ごと焼失した後に本堂の再建が遅れ、本堂が再建され完成したのは平成に入ってからだったということで、鉄筋コンクリート造りで商店街の景観にマッチした外観になっていました。

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本堂の建物の真ん中あたりには織田信長のからくり人形が設置されていて名物になっていて、抹香投げつけや敦盛を舞う姿が再現されています。

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下から見上げていても結構大きな人形なので見ごたえがありました。

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僕は御朱印を集める趣味はなかったのですが、祈禱受処に置いてあった御朱印調のデザインがすごくかっこよくてついつい衝動買いしてしまいました。

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また、龍をあしらった御朱印もとてもかっこよくてさっそく御朱印帳に記していただきました。

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これをきっかけにして御朱印も集めていこうかなと思いました。