とっく~ブログ 

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織田信長の天下布武の経済的礎 津島湊

450年以上前に若き日の織田信長が庶民たちと踊ってバカ騒ぎしたり、天王祭を見物した津島湊は一年中花が咲き誇る公園になっていました❗
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嵐を呼ぶ男!NOBUNAGA」杉山大二郎(徳間書店)を読んで印象的なシーンだったのが第2章の冒頭で描かれている津島天王祭の宵祭りを信長と帰蝶が二人で見物する場面です。


「津島楽の荘厳な音が鳴り響く。二艘横連結の船上に夥しい提灯で飾られた山車を乗せた巨大な巻藁船がいくつも続けて、闇夜を煌々と照らしながら、天王川を悠々と漕ぎ進む」


という描写があって信長と帰蝶がうっとりと眺めるという夫婦の仲睦まじい様子が描かれています。


後に織田信長安土城を提灯を使ってライトアップするという斬新なアイデアを実行しますが、この宵祭りからヒントを得たということです。
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また、第4章では津島の堀田道空という人物の屋敷の庭に庶民を集めて家臣たちと躍りを披露するという場面が出てきます。
若き日の信長が女性に扮して女躍りを踊って皆を笑わせるというとても微笑ましいシーンです。


このように津島湊とは織田信長にとって大切な場所だったようですが、単に娯楽を楽しむ場所として重要視していたわけだはなく、経済的にもかなり重要な場所だったようです。
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織田信長は当時としては革新的な改革を次々に実行して天下統一にむけて邁進していたというイメージがあります。


長槍や鉄砲といった高価で最新の武器を大量に購入して軍事力を高めたり、それまでは自分達の土地を納めて農作業も行う事が当たり前だった家臣たちを城下町に住まわせて農業から切り離して軍事に専念させたり。


土地から切り離したら家臣たちは収入源を絶たれてしまうのではじめは激しい抵抗を受けたようですが、信長が直接給料を支払うシステムをつくったことで家臣は軍事訓練に専念できて、より強力な軍団を作り上げる事が出来たのです。


でも直接給料を家臣に払うとなると、何か収入源がなくてはこんなことは出来ません。


その大きな収入源の一つが津島湊の貿易による収入だったのです。
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室町、戦国時代の中世には伊勢と尾張をつなぐ東海地方随一の川湊町として、そして牛頭天王社(津島神社)の門前町として大いに繁栄していました。


織田信長の祖父織田信定の頃から織田弾正忠家の支配となり信秀、信長と次第に勢力を広めていく経済的基盤となったのでした。
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織田弾正忠家は商人たちの自治組織をつくって課税をしなかったので大阪堺にも匹敵する数千艘の船が行き交う湊町へと発展しました。
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残念ながら江戸時代に水害を防ぐために川がせきとめられて湊も衰退してしまったようです。


今では日本の歴史公園100選に選ばれる立派な公園として整備されていて、5月には美しい藤の花が咲き誇ってとても美しいようです。
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駐車場も何ヵ所かあってアクセスもしやすいので、季節の花が咲くときにはまた訪れてみたいですね🎵
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