現在の愛知県西部、稲沢市と愛西市にまたがる日光川と三宅川に挟まれた三角州のなかに、織田信長が誕生したと言われる勝幡城はありました。
勝幡城は永正年間(1504~1521)に織田信長の祖父である織田信定(信貞?)が大商業地である津島を支配するための重要な拠点として築いた城です。
ウィキペディアやその他のサイトによると、二重の堀で囲われた館城であり、三宅川が外堀の役目を果たしていたとのこと。
「勝幡村古城絵図」によると本丸は東西29間(約53メートル)、南北43間(約77メートル)、幅3間(約5メートル)の方形土塁だったと記されていて、当時としては最大規模のお城だったようです。
天文2年(1533年)織田信長が誕生する前の年に織田信秀に招かれて山科言継が訪れた時にその規模と出来栄えに驚いたと日記に記してます。
名鉄勝幡駅北改札口を出ると、まだ赤ん坊の吉法師、後の織田信長を抱いた土田御前と、二人をいたわるように寄り添う織田信秀の像が建っています。とても微笑ましい印象です❗
名鉄勝幡駅北改札口前の広場には他にも勝幡城の復元模型や解説板、うつけと言われた少年時代の織田信長の絵を見ることが出来ます。
北改札口から西に5分ほど歩いて、川沿いの土手に右折してしばらく歩くと右手に桜の木に隠れるようにひっそりと石碑が建っています。
うっかりしているとそのまま通りすぎてしまいそうですが、幟旗が立っているのでかろうじてそれとわかります。
ここは勝幡城の南端に当たるそうですが、石碑はここだけではありません。
川沿いの道を上流へ歩いて5分もかからないようなところにもう一ヶ所石碑が建っていて、ネットではこちらの写真の方が多く載っています。
何で石碑が2ヶ所建っているのかは謎です。
それにしても戦国時代の城というのは、江戸時代の巨大な城郭と比べると規模が小さい上に年月も古いので大抵は遺構もほとんど遺されていないので石碑などでかろうじてわかるパターンがほとんどですね。
織田信長が生まれた城でもこの程度の扱いとは…。
少し寂しさを感じてその場を後にしました。