永禄四年(1561)の森部の戦いで勝利し、日比野下野守が守っていた墨俣砦を手にいれた織田信長でしたが、さらに美濃国内深くに楔を打ち込むために築いたのが十九条城でした。
墨俣砦から北西に4キロほど行ったところにある十九条城は元々は大永六年(1526)に土岐氏の居城である川手城を防衛する目的で土岐頼純が斎藤利良に命じて築かれた出城でした。
しかし、斎藤道三が美濃を支配するようになると稲葉山城に拠点が移ったために出城としての重要性が薄れて廃城になったようです。
それを森部の戦いでの勝利の後に織田信長は美濃侵攻の新な拠点として眼をつけて城を再建し、従兄弟の織田広良に任せました。
この美濃の国深くに穿たれた楔を取り除くべく斎藤龍興が兵を挙げたのが永禄四年(1561)の十四条・軽海の戦いでした。
この戦でも織田軍は勝利し前田利家も活躍したようですが、織田広良は討ち死にして十九条城も焼失してしまい、その後再建されることなく廃城となりました。
現在は跡地に津島神社が建っていて、この地にかつて十九条城があったことを示す立て札だけが当時の事を物語っています。