頻繁に車が通り、交通量の多い長良川沿いの土手のすぐ下にある薬師堂に、かつてここで戦があったことを知らせる痕跡が残っています。
永禄四年(1561)美濃の斎藤義龍が35歳で病死。
これを好機と見た織田信長は義龍の死のわずか三日後という電光石火の早さで西美濃に侵攻し、森部村付近で美濃勢と激突しました。
織田勢1500に対して美濃勢は6000と数で不利な織田方でしたが長井甲斐守、日比野下野守ら170名あまりを討ち取って勝利しました。
二年前に拾阿弥斬殺事件をおこして出仕停止となっていた前田利家は、桶狭間の戦いで敵の首級を3つあげたにもかかわらず赦してもらえませんでしたがこの戦で敵の首2つをあげてようやく帰参が叶いました。
その首の一つが日比野下野守の家臣で「首取り足立」の異名を持つ豪傑足立六兵衛でした。
織田信長は「足立の首は城一国の価値あり」と賞賛し利家の帰参を赦しました。
前田利家は、以前からの150貫に加えて300貫を加増されて知行450貫となりました。
さらに信長の親衛隊である赤母衣衆に抜擢されてその後の出世への足がかりをつくりました。
現在森部の戦いの古戦場には薬師堂があり、戦いについて解説した看板があります。
また、薬師堂から南に数十メートルのところには2002年の大河ドラマ「利家とまつ」を記念して出世の松が植えられています。
交通手段としてはマイカーで行くしかないと思いますが、駐車場もありません。道幅は広く、土手の下の道路は交通量も少ないので特に迷惑がかかることもないと思います。
3キロほど上流には墨俣一夜城があって中は資料館になっています。
結構充実した内容なので一見の価値ありです。
森部の戦いの古戦場とセットでどうぞ🎵