現在は住宅街となっている、乗用車一台がなんとか通れるような狭い道路の先にそれはありました。
弘治2年(1556)、弟の織田信勝の謀反を察知した織田信長が清洲城守備の要として築いた砦です。
織田家の重臣である林通勝・通具兄弟や柴田勝家が率いる信勝軍1700に対して名塚砦を守るのは佐久間盛重率いるたった200の兵士。
それでも佐久間盛重はよく砦を守り、救援に駆けつけた織田信長の軍勢が稲生の戦いで信勝軍を破りました。
現在でも名古屋を流れる庄内川のすぐそば、名古屋市西区に白山神社として残っています。
遺構はまったく残っていないようですが、立て札や石碑でその歴史を偲ぶことが出来ます。
地下鉄鶴舞線庄内通駅から歩いて10分程とアクセスもいいです。
尾張統一を目指していた若き日の信長が、その後の織田軍の中心的人物となる柴田勝家とここで戦ったんだと思うと感慨深いですね🎵