弘治2年(1556年)8月、織田信長とその弟の織田信勝の軍勢が激突した稲生の戦い。
その古戦場は今は小さな祠と立て看板でかろうじて当時を偲ぶことが出来ます。
1700の織田信勝の軍勢に対して半分以下の700という軍勢で敵を撃破した織田信長軍。
敵の有力武将だった林通具を自らの槍で討ち取ったり、大音声で敵兵を怯ませたりと大将である織田信長自身大活躍でした。
また、兵たちも常に軍事訓練を受けている専門の戦士の集団で、普段は農作業をしていて有事にだけかり出される信勝軍の兵士たちとは練度が全く違っていました。
この戦いに参加した前田利家は右目の下に矢を受けながら、それを抜かないで敵を討ち取るという手柄を挙げました。
対して織田信勝は自らは出馬せず、家老の柴田勝家や林通勝に任せていたというや国内の戦では利益も少ないということもあって、兵士の士気も低かったようです。
結局、織田信勝軍は柴田勝家も負傷するくらいの惨敗となり、母親の土田御前の仲介もあって二人は和睦しました。
今は古戦場には死者を弔うための塚や祠があります。
昔はあちこちに塚があったそうですが、現在残っているのはここだけだそうです。
この戦での勝利によって織田家での信長の評価は一気に上がり、今まで敵対していた林通勝や柴田勝家も信長側につきました。
翌年に織田信勝は再び謀反を企てますが、同調する家臣は少なく、逆に家老として支えてくれていた柴田勝家に計画を密告されて、清洲城におびきだされたところを討たれてしまいます。
こうして織田弾正忠家を一つにまとめた織田信長は尾張統一にむけて邁進していくのでした。
現在の古戦場は住宅街の狭い路地の先にあって駐車もしにくいので、車で行くことはおすすめ出来ません。
地下鉄鶴舞線の庄内通駅から歩いて10分もかからないような場所なので、行くときは地下鉄が便利です🎵
春は桜並木がとてもきれいなので、春の晴れた日にぶらぶらと出かけてみては?