天文二十年(1551)8月 萱津の戦い(海津の戦い)
信長の父の織田信秀が病死したことをきっかけに清州方が織田方の松葉城と深田城を占領。
占領された城を奪還すべく信長は伯父である織田信光と協力して出陣し、清州方と萱津で激突しました。
戦は中条家忠と柴田勝家が二人がかりで坂井甚介という武将を討ち取るなど清州方の兵50騎を討って信長軍が勝利し、二つの城も奪還しました。
前田利家はこの萱津の戦いで初陣を果たしました。
その年の正月から信長に仕えることになったばかりの15歳か16歳という年齢で、まだ元服もしておらず犬千代と名乗っていたとも。
この戦いで利家は初陣にもかかわらず誰よりも早く果敢に敵陣に飛び込み首級を一つあげて信長から称賛されたということです。
この戦の後、利家は信長の伯父の津田孫三郎信家を烏帽子親として元服して孫四郎利家と名乗りました。
利家の家は津田信家から貰ったんですね🎵
前田利家の戦歴の出発点である萱津の地は今は住宅、小さな工場や事務所が建ち並ぶ閑静な場所となり、石碑だけがかつての戦いを偲ぶものになったいました。