愛知県で一番有名なお寺といっても過言ではない大須観音から大通り沿いに南へ徒歩10分ほどのところに日置神社があります。
初めてだと気を付けてみていないと見過ごして通り過ぎてしまうかもしれないほど小さくて地味な鳥居が入り口に立っていて、この先に神社があることを教えてくれています。
いつ創建されたかははっきりしないようですが、平安時代に成立した延喜式には「尾張国愛智郡日置神社」との記載があるということで、少なくとも1200年以上前からこの場所にあったようです。
戦国武将とのエピソードといえば織田信長が桶狭間の戦いに出陣する際にこの日置神社に立ち寄って戦勝祈願をしたとされ、勝利を収めた返礼として千本の松の木を寄進して、それ以来千本松日置八幡宮と呼ばれたという言い伝えがあるということです。
大通りに面した入り口はちょっと狭くて目立たないのですが、境内に入ってみると意外に広くて奥行きがあります。
大黒様や稲荷社などもあって金運アップにご利益がありそうです。
社殿はそれほど大きく立派感じではなくこじんまりとした印象ですが、屋根の一部が瓦屋根になっていて、神社の屋根といえば檜皮葺のイメージなので珍しいなと思いました。
それにしても今回初めて知ったのですが、桶狭間の戦いに向かう途中で織田信長はいくつもの神社や寺に立ち寄って戦勝祈願をしていたようです。
今までいくつものドラマや小説で織田信長が桶狭間の戦いに向かうシーンを見てきましたが、清洲城で幸若舞の敦盛を舞ったあとに立ったままお茶漬けをかきこみ、そのまま馬で単騎熱田神宮まで駆けて家臣たちが追い付いてくるのを待って戦勝祈願をしたという描かれ方をしていたと思うのです。
ところが実際には熱田神宮にたどり着くまでの間にこの日置神社のほかにも榎白山神社と白鳥山法持寺と少なくとも三つの神社仏閣に立ち寄って戦勝祈願を行っていたのです。
桶狭間の戦いで描かれる織田信長は確固たる覚悟と今川義元の軍勢を打ち破る完璧な戦略を内に秘めて迷わずに一気に突っ走るというイメージだったのですが、実際は内心冷や冷やで、神や仏にすがりたくていくつもの寺や神社に立ち寄って必死に祈りをささげていたのかもしれません。
そう考えるとドラマで描かれる威風堂々と戦いに臨む姿ではなくて悲壮感漂う必死の形相の信長が頭に浮かんできてイメージがかわりました。
後に第六天魔王などと恐れられ、自らを神として祀るように家臣たちに指示したとされる織田信長ですが、若い頃は神仏を信じて祈りをささげていたのですね。