刈谷市歴史博物館を見た後はせっかくなので市内の史跡を散策しました。
刈谷市は徳川家康の母親である於大の方の実家である水野氏が治めていたところということで、水野氏や於大の方ゆかりの史跡がいろいろあります。
刈谷城
博物館のすぐ南側には亀城公園という市民憩いの公園があり、ここには明治時代に廃藩置県が行われるまで刈谷城というお城がありました。
於大の方の父親の水野忠政によって天文2年(1533)に築城され、改修されたり藩主が変わったりしながら明治時代に廃城されるまで刈谷藩の城として使われました。
現在はかつてお城があった場所は野球場や体育館、芝生広場になっていて、石垣もなく、わずかに土塁と水堀の一部が残るのみとなっています。
しかし、将来的には復元する計画が持ち上がっているようで、期待したいところです。
椎の木屋敷跡
亀城公園から東へ10分ほど歩いたところに椎の木屋敷跡というところがあり、ここは夫の松平広忠から離縁されて実家に戻ってきた於大の方が再婚するまでの2年間住んでいたところだということです。
彼女の父忠政から家督を継いだ於大の方の兄の信元が、今川氏側から織田氏側に寝返ったので、今川氏から支援を受けていた松平広忠から離縁されて実家に返されて住んでいたということです。
家同士、男たちの都合に振り回され、幼いわが子竹千代(徳川家康)とも離れ離れになって、於大の方はどんな心境でここでの日々を過ごしていたのでしょうか。
2年後にはまた兄の思惑で別の家との政略結婚で嫁いでいったということですが、当時の女性にとっては当たり前のことだったのかもしれませんが、本人はこれも運命と受け入れていたのか聞いてみたいところです。
楞巌寺(りょうごんじ)
椎の木屋敷跡から南へ30分ほど歩いたところにあるのが水野氏の菩提寺の楞巌寺です。
於大の方が刈谷に戻ってきてから再婚して再び刈谷を離れるまでの2年間、しばしば訪れていたということです。
他家に嫁ぐことになった時、3歳で別れた竹千代や夫との思い出の品々をこのお寺に納めたそうです。
こじんまりした小さなお寺を想像していたのですが、いざ行ってみると広い庭園があったり建物も大きくて立派でした。
曹洞宗の総本山である福井県の永平寺とゆかりがあり、室町時代に開かれたお寺で、広い庭園は美しく整えられていました。
おわりに
刈谷市は戦国時代の史跡だけでなく、縄文時代の遺跡や明治時代の産業遺産など、歴史的見どころが多いところなのでいろんなテーマで楽しむことができそうです。
大きなお祭りが開かれたり、亀城公園は桜や藤の花の名所でもあるので、年間を通して楽しむことができる観光地なので、これからもチェックしていきたいです。