とっく~ブログ 

読んだ本の紹介をメインに、小説に出てきた聖地巡礼や、写真など

涅槃 垣根涼介 朝日新聞出版

涅槃 上

下剋上の戦国時代においてさえ斎藤道三松永久秀と並ぶ悪人と言われた武将、宇喜多直家を描いた上下合わせると900ページを超える長編小説です。

 

宇喜多直家の息子の秀家を主人公にした作品は以前読んだことがあるのですが、宇喜多直家に関してはよく知らなかったし、また、作者の垣根涼介の作品では「光秀の定理」と「信長の原理」を読んで、とても面白かったので期待感もあったので購入しました。

あらすじ

宇喜多家の主君である浦上家から疑いをかけられ、居城の砥石城を攻められて祖父は討死し、両親とともに城を追われた八郎(直家)は、わずか6歳で流浪生活を経験する。

 

宇喜多家に出入りしていた備前福岡の商人、阿部善定のもとに身を寄せるも、祖父を見捨ててろくに抵抗することなく城を逃げ出した不甲斐ない父親の興家に失望し、加えて腹違いの弟を生んだ継母にいじめられたために八郎(直家)は心を閉ざし無口で暗い子供になってしまう。

 

しかし、一人で寂しく過ごしているうちに身についた観察力と思考力で商業や経済の仕組みと重要性を理解し、成長してから大いに役に立つ。

 

また、宇喜多家再興に努力する実母をはじめ阿部善定や彼の用心棒の柿谷、八郎を男にした年上の女性紗代といった恩人に恵まれ、彼らの励ましや支えによって八郎は宇喜多直家として家の再興を果たす。

 

猜疑心の強い主君の浦上家に気を使いつつ戦や謀略によって領土を広げてゆく直家の行く末はどうなるのか。

感想

この作品を読むまでは宇喜多直家に関しては知識がほとんどなくて、宇喜多秀家の父親ということと、謀略、毒殺、だまし討ちといった卑怯ともいえる手段を駆使して領土を拡大させていった恐ろしい武将というぼんやりしたイメージしかありませんでした。

 

僕が大学生の頃なので、もう30年くらい前ですが、当時はまっていた司馬遼太郎の著書(「街道をゆく」か「この国のかたち」だったと思う)の中で、宇喜多直家のイメージが悪すぎて戦前は岡山県出身の人は差別され、ある軍人は出世に障るので岡山出身だということをひた隠しにしていたという内容のことが書かれていた記憶があります。

 

ところがこの作品に描かれている宇喜多直家は、子供のころのつらい体験のせいで暗くて極度の人見知りになってしまいますが、ドライな考え方をするものの、家臣に対する思いやりもあり、倫理観も持っている人物として描かれています。

 

物語自体も陰湿でドロドロした感じではなく、戦の描写では躍動感も感じられて興奮するし、ほろりと泣けるシーンもあります。

 

また、「出来るか出来ないではない、やるのだ」とか、「何かを得ようとしたら、何かは手放す」など、人生にも役立つ教訓がいくつも書かれていて思わずラインを引いて付箋を貼りました。

 

下巻はどのような展開が待っているのか、そして、「涅槃」というタイトルがついた理由は何なのか。

 

後半も楽しみです。

 

 

信長を殺した男~本能寺の変431年目の真実~7 (漫画)藤堂裕 (原案)明智憲三郎

信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~ 7 (ヤングチャンピオン・コミックス)

山崎の戦で明智光秀を破り、天下を統一した豊臣秀吉によって改ざんされた本能寺の変の真実を描く物語の第7巻です。

あらすじ

あまり知られていない本能寺の変から山崎の戦までの最後の12日間の明智光秀の動向を描いた第7巻です。

 

本能寺で織田信長を討ち取り、続いて二条御所で応戦した織田信忠を討ち取った明智光秀は各地の大名に書状を書いたり朝廷工作をするなど次々に手を打ち畿内の制圧を推し進める。

 

一方、いち早く本能寺の変を知った羽柴秀吉は毛利氏との和睦を成立させ中国大返しを開始する。

 

さらに、危険な伊賀越えを行った徳川家康織田信長という大きな後ろ盾を失ったイエズス会、光秀と秀吉のどちらに味方するかで迷う各地の大名たちなど人々の思惑が交錯するなかで真実の本能寺の変とはどのようなものだったのか。

感想

明智光秀が起こした本能寺の変羽柴秀吉が行った奇跡の中国大返し徳川家康が後に人生最大のピンチだったと語ったという神君伊賀越えの真実がこの漫画の通りなら確かにいろいろな謎のつじつまが合うなと思い納得しつつも、結果ありきの無理やりのこじつけのような気もして興奮したり気持ちが覚めたりと、気持ちの上がり下がりが激しいというのが読み終わった後の個人的感想です。

 

でも物語としては大変面白く、策略、謀略、裏切り、明智光秀羽柴秀吉双方が先を見越した先手先手の作戦を実施するなどしびれるような展開で、誰がいいとか悪いとかといった善悪の話ではなく光秀、秀吉、家康やほかの大名たちも自らの野望や生き残りのために頭をフル回転させている姿に興奮しました。

 

我々が知っている歴史の裏でどんなことがあったのか、次の最終巻でどう描かれるのか楽しみです。

 

 

岐阜市歴史博物館

金華山山頂にある岐阜城金華山の下にある岐阜公園と散策して、最後は岐阜公園の一番南の端にある岐阜歴史博物館を見学しました。

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岐阜歴史博物館は美濃地方の歴史や文化を紹介する施設で、原始時代や縄文時代の出土品から近代の産業機械まで幅広い展示のほかに長良川鵜飼の資料や美濃和紙を使った傘やうちわ、提灯などの美濃地方ではぐくまれた文化も紹介されています。

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本来は1階、中2階、2階と三つの階の施設を見学したり利用したりできるのですが、今はコロナの影響で2階の総合展示室しか利用することができません。

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総合展示室は博物館のメインの展示施設で、原始時代から戦国時代、江戸時代から明治大正昭和の近現代の資料をを工夫を凝らして展示しています。

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特に戦国時代の岐阜城からの眺めを再現したジオラマは見ごたえがありましたが残念ながら撮影禁止でした。

下の写真は別のジオラマです。

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また、この時代の岐阜城や岐阜の街を案内しながら解説する映像はわかりやすく、織田信長の声を俳優の高橋英樹が演じるなどなかなか豪華です。

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また、織田信長の時代の楽市楽座が行われた街の風景が再現された撮影可能なエリアもあります。

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早くコロナが完全に収束して、これらの施設も完全な形で使えるようになってほしいです。

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帰るころにはすっかり日が暮れて、クリスマスシーズンということもあり、JR岐阜駅はクリスマスイルミネーションがきれいでした。

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マスクをつけた金色の織田信長像が見送ってくれました。

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信長公の鼓動が聞こえる歴史公園 岐阜公園

岐阜城のある金華山の下には岐阜公園があり、今では歴史博物館や美術館、昆虫博物館といった施設が立ち並び、金華山に上るロープウェーの駅や土産物売り場があったりしますが、ここにはかつて、斎藤道三織田信長の居館があった場所でもあります。

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今、岐阜公園は「信長公の鼓動が聞こえる歴史公園」として再整備が進められていて、2006年には「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

 

岐阜公園の入り口にはさっそく織田信長の馬に乗った巨大な銅像があり、「若き日の信長像」と名付けられています。

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公園内には「信長の庭」と名付けられた美しい日本庭園があり、今はちょうど紅葉が見ごろを迎えていて、赤く染まったモミジの葉が池の水に反射してとてもきれいでした。

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ロープウェーの駅の手前には後に土佐藩初代藩主となった山内一豊が出世のきっかけをつかんだ妻の千代との有名なエピソードが書かれた碑があります。

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このエピソードは小牧での話だと思い込んでいたのでこんなところに碑があってびっくりしました。

 

司馬遼太郎の「功名が辻」を読みなおさねば。

 

山内一豊と千代の碑を通り過ぎて南方向に歩いていくと左手に冠木門があり、これが信長の居館跡への入り口です。

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信長の居館跡は発掘調査が進んでいて金箔瓦や庭園の跡が発見されています。

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2本の滝が流れ落ちる仕掛けもあったんだとか。

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信長の居館跡を正面に見て左手には朱塗りが鮮やかで美しい三重塔があります。

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大正天皇の御大典(即位の礼)を記念して1916年5月に建立されました。

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濃尾地震で被災した長良橋の古材が使われています。

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信長の居館跡を後にして冠木門から外に出るとすぐ近くには板垣退助銅像があります。

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1882年4月6日、当時この場所には中教院という施設があり、ここで演説を終えて出てきた板垣退助は暴漢に襲われ、有名な「板垣死すとも自由は死せず」という言葉が生まれました。

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よくテレビの再現VTRでは演説中に暴漢が舞台に上がってきて刺されるといったシーンが流されていると思うのですが、実際には演説を終えて建物から出てきたところを襲われたのですね。

 

信長の居館跡や板垣退助銅像とは逆方向、公園の北側には御手洗の滝という美しい滝があり、この滝が流れ落ちる池には関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍側についた当時の岐阜城の城主であった信長の孫の織田秀信が籠城し、東軍の福島正則らと戦った時に落城し、大勢の奥女中たちが刺し違えたり身を投げたりして亡くなった場所なんだとか。

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今は日中友好庭園とかちびっこが遊ぶ施設があり、のどかな雰囲気を醸し出していて、そんな悲しい出来事があった場所とは思えません。

 

このように、戦国時代から明治大正時代までの歴史を楽しめる岐阜公園は自然も豊かでバードウオッチングや桜や紅葉といった季節の植物をめでるために訪れる人も多く、いろんな角度から楽しむことができます。

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また季節の変わり目や何かのイベントがあるときは訪れたいと思います。

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お土産売り場で買った戦国武将の醬油

 

斎藤道三や織田信長ゆかりの城 岐阜城

斎藤道三織田信長明智光秀といった戦国武将とも大変ゆかりの深い岐阜県のシンボルともいえる城である岐阜城に行きました。

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岐阜城天守

斎藤道三下剋上の舞台となり、竹中半兵衛の乗っ取りや織田信長天下布武の舞台となるなど、数々のエピソードがある岐阜城鎌倉時代から砦が築かれ、戦国時代には名だたる武将たちが城主を務め、関ヶ原の戦い直前に戦いの舞台になるなど戦国時代の中心的な場所になりましたが、徳川家康の命令で1601年に廃城になりました。

 

岐阜城は現在お城が建っている場所としては日本有数の高さを誇り標高329メートルにもなり、僕が住む愛知県一宮市からでも遮るものがない場所からははっきり見え、ほとんどの観光客はロープウェーで上るほどです。

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金華山山頂の岐阜城

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金華山山頂に向かうロープウェー


ちなみにロープウェーの料金は大人で片道630円、往復1100円です。子供は片道300円、往復550円です。

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お城の最上階からの眺めは最高で360度見渡すことができます。

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天守閣から見た東の方角

はるか南の名古屋方面はとてもいい天気で名古屋駅周辺の高層ビル街が見え、東のほうもよく晴れていて日本で2番目に高い火山である御嶽山が山頂に白く雪が積もった姿が見えました。

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天守閣から見た南の方角

西側の眼下には長良川の流れを見ることができ、その先には伊吹山鈴鹿山脈が見えるはずですが、僕が訪れた日は冬型の気圧配置で西側と北側はどんよりと曇っていて伊吹山も見えず雨が降っているのが見えました。

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天守閣から見た西の方角

岐阜城の模擬天守閣の中は資料館になっていて、織田信長の着用していた甲冑のレプリカや木像、発掘調査によってこれまでに判明した岐阜城の姿を映像で見ることができます。

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織田信長の木像

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織田信長の甲冑

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岐阜城天守閣は鉄筋コンクリート製なので文化的な価値はありませんがあちらこちらに信長時代の石垣や井戸が残っています。

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信長時代の石垣

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信長時代の井戸


また、今でも発掘調査が行われていて信長の御殿や庭園の跡、斎藤道三の時代の石垣など新発見が続いています。

 

天守閣に隣接する資料館ではNHKから借りた大河ドラマの衣装や兜、トリックアートが展示されていてほぼ撮影可能です。

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国盗り物語」の高橋英樹が演じた織田信長


大河ドラマ国盗り物語」で高橋英樹が演じた織田信長と「麒麟がくる」で本木雅弘が演じた斎藤道三にそっくりの蠟人形とその衣装はドラマの中で実際に着ていたものだそうです。

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麒麟がくる」で本木雅弘が演じた斎藤道三

岐阜城がある金華山の山頂には他にも展望レストランやリスと触れ合うことができるリス村があり、多くの家族連れが行列を作っていました。

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トリックアート

コロナ禍による緊急事態宣言が解除された10月に営業を再開し、やっと来ることができた岐阜城ですが多くの人が訪れていてゆっくり回ることができませんでしたが十分満足できました。

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イベントなどまた節目節目で訪れたいと思います。

 

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岐阜城の御城印



信長を殺した男~本能寺の変431年目も真実~6 (漫画)藤堂裕 (原案)明智憲三郎

信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~ 6 (ヤングチャンピオン・コミックス)

明智光秀を山崎の戦で破り、天下を統一した豊臣秀吉が改ざんしてしまった本能寺の変の真実に迫る物語の第6巻です。

あらすじ

ついに始まった本能寺の変へのカウントダウン。

織田信長の唐入り計画を阻止するために断腸の思いで謀反を決意した明智光秀だが、最大の問題は信長と、織田家家督継いでいる嫡男の信忠を同時に葬るにはどうすればよいかということ。

徳川家康の接待をするために堺に同道している織田信忠を光秀はどうやって信長と同時に葬り去るのか。

感想

織田信長のことを戦乱の世を終わらせて日本に天下泰平の世をもたらしてくれる麒麟だと信じて必死に仕えてきた光秀が、信長の唐入り計画を知って、まだ戦いを続けるつもりなのかとショックを受けて、なんとか信長の唐入り計画をやめさせようとしてきましたが、それが不可能だと知り、ついに謀反を決意したのが前巻まででした。

 

物語の前半での織田信長は爽やかで気持ちのいい男で、物語の雰囲気も多少明るかったのですが、物語が進むにつれて信長がどんどん恐ろしくなってきて物語の雰囲気もどんどん重くて闇をまとうようになってきました。

 

尊敬し、この方ならばと必死に仕えてきた信長を殺さなくてはならないのかと思い悩む光秀にどんどん悲壮感が出てきて読んでいてつらいです。

 

結果はわかっているのですが本能寺の変の真実とはどのようなものだったのか見届けたいと思います。

 

 

 

 

矢場町の名前の由来になった三輪神社

大須商店街の北側に位置する矢場町にはこの矢場町の由来になり、恋愛のパワースポットとして多くの若い女性参拝客でにぎわう三輪神社があります。

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三輪神社

三輪神社は戦国時代の元亀年間(1570~1572)に、織田信長の妹「おとくの方」を正室に迎えた牧若狭守長清という武将が自分の居城である小林城のすぐ近くである現在の場所に祭ったのが始まりということです。

 

江戸時代には尾張藩の通し矢の修練場矢場が三輪神社の境内に造られたということでこの界隈を矢場町と呼ぶようになったということです。

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ほとんどの人は矢場町といえば名古屋飯の一つである味噌カツで有名な「矢場とん」を思い浮かべると思うのですが矢場とんの矢場はここからきていたのですね。

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矢場とん

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僕は矢場町の由来となった神社という情報だけで三輪神社に来たのですが、ご祭神が縁結びの神様として有名な、出雲大社と同じ大国主命であり、矢場の矢が愛のキューピッドの矢と結びついて強力な恋愛パワースポットになっているようで、境内には若い女性たちがたくさん訪れていました。

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良縁を得るための「赤い糸」を結ぶクスノキや、なでると幸福がいただけるという「幸せのなでうさぎ」、良縁を射抜く「尾張藩の矢場跡」といった恋愛パワースポットがいくつもあります。

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赤い糸を結ぶクスノキ

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幸せのなでうさぎ

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尾張藩の矢場跡



また、神社の鳥居の形が独特で、ほかの神社と違い三ッ鳥居と呼ばれていて、真ん中の鳥居の両脇にも鳥居があります。

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三ッ鳥居

これら三つの鳥居を正式な通り方で通ることによってご利益は3倍になるということです。

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手水鉢

せっかく萬松寺で御朱印帳を購入したのでこちらでも記帳していただこうかと思ったのですが、若い女性たちの行列がズラッとできていて、その中に50歳のおっさんが一人混ざるのも異物が混入するようで恥ずかしかったので断念しました。

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三輪神社は境内もそれほど広くなく、社殿も小ぢんまりとした神社ですが、若い女性を中心に参拝者も多く、なかなかの賑わいを感じる神社でした。